社会的偏見について〜人はなぜ、ボケたくないのか?〜
あなたは認知症になりたいと思いますか? 正直に言うと、私はそう思いません。
周囲からも、ボケたくない、認知症にはなりたくないという意見をよく耳にします。
人の「ボケたくない」という思いの中には、「認知症になると、いろいろなことが分からなくなってしまう」という自分を失ってしまうことへの恐怖や、「一人では何もできなくなり、他人に世話をしてもらうようになる」という負い目など、さまざまな思いが込められています。
「認知症になると、いろいろなことが分からなくなってしまう」という懸念について
認知症の代表的な症状の一つに、「物を覚えたり、思い出したりする能力が弱くなること」が挙げられます。
では、記憶能力が衰えたお年寄りの方は社会の恥なのでしょうか?
パーソン・センタード・ケアを提唱したトム・キットウッド(Kitwood, T. M, 1937-1998)は、「現代社会は、認知能力を重要視しすぎる社会である」と警鐘を鳴らしています。
お年寄りは一般的に、若いころからさまざまな形で社会に貢献し、年老いてからも何らかの形で役割をもって生活しています。
そんな人が認知症という病気を発症して記憶障害を生じ、記憶力が衰えてしまうと、何もかも「おしまい」なのでしょうか。
しばしば、身体的な能力よりも記憶力の低下が取り立ててバカにされるような風潮があります。
よく物を覚えていることはそんなにも重要なことなのでしょうか。
トム・キッドウッドが指摘するのは、社会のそういった認識なのです。
「一人では何もできなくなり、他人に迷惑を掛けてしまう」ことへの抵抗感について
自分のことを他人にしてもらうことに対して、なぜこれ程までに抵抗があるのでしょうか。
考えてみると、物事ができなくなる不自由さよりも、誰かに世話をしてもらうことに抵抗があるように思われます。
それは、「人前で恥をかきたくない」という思いが大きく影響しているのではないでしょうか。
人は、自分の恥を露呈することでプライドを傷付けられることを、ひどく恐れているものです。
【情報提供元】
認知症ケア各種療法
https://dayshop.biz/item/detail/2174.html
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